商業科が廃止されるのは、悲しいし悔しいです。3年間ほぼ同じメンバー。だからこそ生まれる仲違いやイライラもあったけど、そうやってお互いをよく知っていけたんだと思います。結果はどうあれ行事といえばみんな精一杯頑張っていました。山ほどある検定だって、「絶対無理だし〜」なんて言いながら、検定当日の朝にはみんなで問題集広げて最後の悪あがき。そして結果もなかなかで♪進路も就職・公務員・進学…。進む方向も色々、進路決定の時期も色々。違う進路の人達のことも考え、誰かの採用や合格が決まったときにみんなで喜びました。自宅学習なんて言われても、みんなに会いたくて用事もないのに学校に行ったりもしました。楽しくて、頑張れて、検定も沢山取得できて、磨かれて、大切な友達も沢山できる。そんな商科で学んだことは、私の場合今おおいに役立ってます♪最後の商科のみなさんには、私たち以上に何もかも頑張ってもらいたいです。
(98期  女性) 


 商科ももうすぐ終わりなんですね ̄私は本当に商科に入って良かったと思っています=まじで♪卒業するのがあんなに嫌になるなんて思ってもなかった。本高に商科の後輩がいなくなるのはとても淋しいです。1クラスしかないけど、だからこそ団結力は素晴らしいもんなんですよね?いろいろあるかもしれないけど、最後には絶対商科バンザイってみんなが思えると信じていますc
(98期卒  女性)


 私の年だけでないと思いますが、商業科といえば団結力が強く運動会でも文化祭でもすごい盛り上がりでした。なので、なくなってしまうのは、なんだか淋しい気がします。私は今、福祉の道へ進んでいますが、商業科を卒業したという事で事務を担当しています。今思えば商業を学んでおいて良かったなと思います。皆さんも悔いのない高校生活を送って下さい。
(90期卒  女性)


 とりあえず商科は最高です。今もみんなとつながって、冬は必ず集まります。そのくらい絆が強いです。高校時代は、たくさんありますけど、まず1〜3年までの商科だけの球技大会があったり・・・学年とわず、商科の結束とか仲の良さはすごかったです。いつも普通科になんだかんだいってうらやましがられた気がします。3年間一緒なので、男女問わず仲良すぎて何でもありでした(笑)誰がどんな性格でどんなことをしでかすか、みんな理解してたから分かり合えました。話せばきりがないです。とりあえず普通科に絶対負けない強い絆が結べるのが商業科ですc
(95期卒  女性)


 とりあえず本当に残念の残念の一言です。商業科は私達の時も1クラスしかなく、学校内だけでなく地域などに出ても特別な目で見られた様な気がします。それだけに、気合いを入れて生活できたと思います。学校の雰囲気も商科のおかげで明るく保ってた気がします。逆に悪くなったときもありましたがこれから、「本荘高校商業科」はなくなるけど、私は「本荘高校商業科」の卒業生として誇りを持って過ごしていきます。
(96期卒  男性)


 商業科がなくなるのは、とても残念ですがたくさんの先輩達の思いを胸に、最終ランナーとして今の3Hの皆さんには頑張ってほしいと思います。
(96期卒  男性)


 商業科で生活した高校生活3年間は、本当にあっという間でした。今振り返ってみると苦しく悩んだ事よりも毎日笑って楽しかった事が思い出されます。商業科が今年を最後に終わってしまう事はとても残念ですが、いい仲間にも出会えて、とても貴重な財産になりました。
(96期卒  女性)


 商科がなくなると聞いたときはとてもショックでした。あんなになくさないでって言ったのに・・・簿記もコンピュータも忘れそうだけど商科大好きc決まってしまった今はもう何も言えないけれど、せめて思い出だけは大切にしたいなーと思います。商科での三年間はこれからの人生でもかけがえのないものとなると思います。残りの時間を大切に過ごして下さい。商業科バンザーイ!!
(96期  女性)


 本荘高校の商業科で過ごした3年間は、本当にあっと言うまで、今振り返ると、自分にとって貴重な時間を過ごした3年間でした。先輩、後輩をつくることができ、とても楽しく、進路指導にも熱心な先生方にも恵まれ、商業科に入って良かったなぁと感じています。そんな商業科が今年で幕を閉じるのは残念なことですが、最終ランナーとして後輩の人達には商業科でしか作れない思い出をたくさんつくって欲しいです。
(98期  女性)


 こんにちは、いろいろ書きたいけど一つだけ。それは、俺の心の中には今もずっと3H、商業科っていうクラスが存在し続けているということ。きっとみんなの心の中にもそれはあると思う。苦しい時、辛い時、そこへ戻るとみんな自分の進むべき道で一生懸命頑張っている。そこで俺もまた頑張ろうって思える。本当に心のよりどころになっている。こう思えるのも三年間共に過ごしてきた中で生まれた深い友情や強い絆があるからこそだし、商業科でなければ得られなかったものだと思う。俺の一生の宝物だ。
(98期  男性)


 本荘・由利に商業科がなくなることは、本当に残念に思います。たくさんの資格も取得でき、自分の実になったと思います。2クラスあった商業科は、ほとんどが部活に所属しており、そのせいもあってか各行事の時には、まとまって向かっていけました。毎日が楽しく笑いも絶えませんでした。昨年の夏には、2クラス合同で同級会を開きました。たった3年間でしたが、私の人生にとって、大きな宝となりました。
(90期  女性) 


 母校のみなさんからお手紙をいただき、大変嬉しく思っております。私が在学していた当時、商業科はH組、I組の2クラス編成でした。先生方も大変苦労されたとの事でしたが、両クラスの仲は大変良く、先生方には「良くも悪くも2クラスで1人前!」と言われていました。今でも当時の襟章を大切に持っています。私にとって、商業科で過ごした時間は、最良のものです。今回こうして改めて昔を懐かしむ機会を与えてくださった3年H組のみなさんに感謝いたします。みなさんにとって「今」が最良の思い出になりますよう陰ながら応援しております。
(87期  男性)


 何年か前に商業科がなくなると聞いていましたが、今年度で最後とは残念です。私達のときは、1クラスで女子が多く、男子が押され気味のクラスでした。でも3年間でいろいろな行事をこなすうちに、男子は女子の、女子は男子の良いところを認め合い、とてもまとまったクラスになりました。卒業間近になると寂しくなり、学活の時間には毎週席替えをして先生に呆れられていました。卒業して十九年になりますが、クラスのみんなとは、今でも連絡を取り合っています。今の時代、不景気で就職も大変ですが、景気が良ければ、まだ商業科は、存続したのかなぁと思います。厳しい時代ですが、正しい判断力と思いやり、感謝の気持ちを持って頑張りましょう。
(80期  男性)


 富樫先生と同じ88期卒業生です。陸上部に所属し、部員と同じ目標に向かって、厳しい練習に汗を流していましたね。商業科は、2クラスしかなかったこともあって、団結力が強かったような…。とても楽しい日々でした。そして同じ商業科だった主人に出会えたことが一番!?の思い出です。二人の子どもたちにも恵まれ、幸せな日々です。
(88期  女性)


 3年間同じクラスメイト、そして担任、その絆は強い。その証として、卒業後も同級会を行い、そして担任の退職においては祝いの席にかけつけるしだいである。商業科の生徒は決して普通科の生徒の下の能力を持った集まりではない。中には能力の高い仲間がいるし、個性や存在感のある仲間もいる。素晴らしい科だと今も確信している。
(73期  男性)


 新聞で商業科がなくなることは知っていました。今回の手紙は、最後の商業科の後輩の方々からのご依頼ということで、ご協力できればと思いペンを取らせていただきました。当時の3年S組は男子30数人、女子11人で、男女ともに仲良く家族的。一番の思い出は、クラスの野球部員(ピッチャー・キャッチャーを含め)7〜8名いた野球部の夏の甲子園をかけた県予選の大会時、授業を何時間か受けた後、さしたる相談をした訳でもないのに、数人ずつのグループに分かれて、授業をサボり、八橋球場へ応援に行きました。後日、教室に残っていたのは、3名と知り、先生からのお叱りを覚悟で翌日登校しました。「君たちは偉い。でも残った君たちも偉い。」との言葉を頂き、とても拍子抜けしたのを覚えています。商業科の最後を締めくくる現3年H組の皆様、楽しい高校生活をお過ごしください。
(72期  女性)


 商業科がなくなることにとても胸が痛む思いです。球技大会・運動会・ボート大会などでは「普通科には必勝」の精神でぶつかっていった思い出があり、とても団結力の強かったクラスだったと思います。世には偶然というのがあるもので、私の妻も商業科卒です。たまに高校のときの思い出を話す機会がありますが、同じ商業科卒ということで話がはずみます。これからも高校・商業科の思い出を胸に楽しく人生を過ごしていきたいと思っております。
(71期  男性)


 今年の3月に息子が本高を卒業、卒業式の際、校歌を懐かしく聞かせてもらいました。卒業して30年近くになるところですが、自分の高校生活、行事や部活での毎日、友達との思い出などが、最近のことのように感じられます。私達は3年間ずっと同じクラスなので、仲間意識が強く、運動会や球技大会では、いつも優勝でした。商業科の先生達もおもしろく、授業も楽しかったです。今振り返ると、高校で過ごした3年間が一番楽しかったように思います。商科がなくなってしまうのは、とても残念です。でも高校時代の思い出が消えることはないのですから、楽しい高校生活を過ごしてください。
(70期  女性)


 商業科は、変な意味でおもしろいクラスでありました。三年間一緒のクラスというものほかにはそんなにありません。クラスの大半は、運動部に所属して学業よりも重点をおいて活動していたように思い出します。運動会や球技大会で好成績を上げておりました。就職活動も今とは違って、一流企業からの求人も多く、普通科よりも一流企業への就職が多かったと記憶しております。時代の流れとはいえ、商業科がなくなるのは残念ではありますが、厳しい社会情勢の中、在校生の皆様には、残された高校生活を存分に楽しんでいただきたいと思っております。
(68期  男性)


 昭和40年3月、2日間にわたる受験科目9教科の最後の年、高校卒業後は就職を希望していましたので、「本荘高校商業科」を志望、入学することができました。3年間一緒のS組は、先輩・後輩達と棟を同じくし、仲の良い科だったと記憶しております。校内の球技大会では好成績を収め、また高校3年の夏、硬式野球部が甲子園出場を果たしたことは忘れることのできない記念すべき感動の出来事でした。そしてその大役を担った選手がクラスに3人もいたことを誇りに思っています。社会も甲子園出場と同様に容易なことではありません。商業科最終ランナーへ、卒業後の進路に向けてラストスパート!!
(63期  女性)


 お手紙ありがとうございました。商業科が今年でなくなるのは、残念ですね。私は中学校卒業後の進路を決めるにあたり、まだまだ選ぶまでの気持ちが幼く、決めかねていましたが、母に薦められ商業科を選びました。一生懸命やったことは、テニスで毎日が楽しくて仕方ありませんでした。それでも社会に出ると商業科で学んだことは私にとってとても役に立ち、母に感謝しながらここまで生きてきました。大学へ進学する方向にある今、大学に行っただけでは何の役にも立ちません。大切なのは「目標を持って進むこと」だと思います。残り少ない商業科で、思い出をたくさん作ってください。健康に気をつけて頑張ってください。
(62期  女性)


 当時は、商業科はS組と称していた。生徒数54名(うち男子が18名)で3年間多数の女子生徒の中で過ごしていたせいか、男子全員が穏和な人柄だった。よく普通科の生徒からうらやましがられたものです。商業科が幕を下ろすことになり、淋しい限りですが、今後の本荘高校の発展と充実した教育ですばらしい生徒の誕生をご祈念申し上げます。
(61期  男性)


 卒業してから36年の月日が流れ、私も今春、長い公務員生活に別れを告げました。のんびりと1クラスだけだった商業科。芸術選択は音楽で、階段教室にたった17人で授業を受けたことが楽しかった思い出です。これからの人生は何が待っているのか見当もつきませんが、「借方・貸方」の簿記の基礎的な考えをしっかり身に付けてさえおけば、どんなときにもきっと役に立ちます。最終ランナーの皆さんのお幸せを祈ります。
(62期  女性)


 私は、学校事務をしているので商業科がなくなることは知ってはいましたが、残念でなりません。私が入学した昭和38年の入試では商業科から普通科に回されて合格した人もいたのに、少人数の商業科は大学への進学率が上がると特に普通科より低く評価され、卒業後も「本荘高校商業科出身です。」と胸を張って言えないのが現状でした。でも商業科で学んだことが今の職場で少し役立っているような気がします。少子化、多様化などに伴い、高等学校が再編されるのも時代の流れなのでしょう。
(61期  女性)


 在学中は学生の本分を忘れて、遊びほうけて過ごしていましたが、六月三十一日に目出度く還暦を迎えました。人生なんて何とかなるもの。肩肘張らずに過ごすのも良いものです。今年度で商科がなくなるのは残念ですが、此も時の流れでしょうか。今後の皆様の頑張りにご期待申し上げます。
(57期  男性)


 商業科が無くなることを聞いて驚いています。私達は、旧校舎の最後の3Hでした。3年間ずっと同じ仲間だったので、とても団結力があり運動会でも大活躍でした。最後に3Hのみなさんへ、資格は武器になります。是非、簿記・珠算とも1級を!!
(女性) 


 3年間同じクラスだった。卒業してからの長い年月、変わらぬ交流の大切さを感じております。「本荘商業高校」は(当時から)目標だったが…。
(男性)


 生来の勉強嫌いと、高校卒業の年が父の定年退職の年でもあったため、少しでも就職に有利になればと思い、商業科を選択し何とか入学したが、卒業基準目標とされた簿記やそろばん等の、資格取得に難儀した日々が今では懐かしく思い出される。今、仕事でそろばんの姿にお目にかかることはまず無いが、目標に向かって邁進した青春時代の1頁もそれなりに意義があったように思う。大きな社会の変革の中で、商業科が無くなることは一抹の寂しさを禁じ得ないが、時の流れに乗り遅れてもいられないのかもしれない。
(54期  男性)


 本当に残念です。僕達が2年生の時に3年生と一緒に商業科を無くさないで下さいとお願いしたことを思い出します。最後の商業科の生徒としてみんなで力を合わせて文化祭を成功させて下さい。仲間と力を合わせて何かを達成したときの喜びはいつまでも忘れることはないと思います。頑張って下さい。
(男性)


 商業科が無くなるということは寂しいことではありますが、時代背景の流れで10年前ぐらいでしたら、高卒の就職先もたくさんあったのですが、今では高卒で就職しようと思ってもなかなか厳しい時代なので、就職科(商業科)の廃止はやむを得ないのかと思い、普通科に入って大学に進学した方が当人のためには一番いいかと思い、今回の廃止は前向きにとらえています。
(H4年3月卒  男性)


 商業科の設立経緯と現状廃止の理由について知りたい。本荘由利地区には商業科は他にあるのか。若くて即戦力となる商業科卒の人材は、経営者としては貴重な存在だ。私は、商業科3期生として小規模零細な商業者ですが、本荘由利地区の経済・文化向上に誇りを持って努力してきました。商業科が廃止になることを大変残念に思います。何らかの形で同窓生の集いを持って地域や母校のために貢献できるか模索する必要がある。
(55期  男性)


 当該商業科の歴史は約半世紀に及ぶ長い思いとなる小生商業科第2期卒業生です。当時は校舎も木造で歴史感あふれる威風堂々とした学校でした。小生は矢島町から夏季は汽車通学、冬季は下宿をしての高校生活でした。夢多き年頃でしたから、小さいながらも将来設計を立案しながら学業に、遊びに  時間を費やした思いが心中にあります。在学中の苦い思い出としては、新校舎の窓ガラスを破損し、事務長から第1号破損者として弁償を言い渡された時のことでした。当時の授業料の1ヶ月分相当でしたので、資金捻出には辛い思いをしたものです。しかし、青春の楽しい思いでも沢山あります。また、四季感に溢れ、自然を満喫しながら我が商業科の発展と有意義な高校生活を過ごした思いがあります。したがって、本荘高校の商業科の幕引きは非常に残念です。
(54期  男性)
商業科卒業生からのメッセージ
 メッセージの下に付いている(○○期)は、本荘高校開校からのものに統一しました。商業科の1期生は53期生からです。掲載されているものから「52」をひくと商業科の何期生か分かります。私たちが99期生で、商業科47期生にあたり18歳です。商業科1期生は現在64歳です。また、ハガキやメールでお返事いただいたものなので、卒業した年がかかれていないものもあります。
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